海外食べ歩きYoutuberに学ぶ、異文化を受け入れる姿勢
だいぶ今さらですが、最近Youtubeにはまっておりまして、土日とか仕事終わりにずーっとYoutube巡りしてしまいます。
特に好きなのが食べ物系の動画で、色々な国のストリートフードを食べ歩いているやつとか、一週間○○だけ食べてみたとか、大食いの動画とかとにかく食べ物を食べてればなんでもいいという感じで手当たり次第漁っていました。(笑)
日本はあんまりストリートフードってない気がするけど、韓国とかストリートフード天国で、何度韓国へ脳内旅行したことか・・。そしてチーズと、ヤンニョムっていうの?コチュジャン系のソースとかさ、みんな非常に美味しそうに撮影するからさ、、とにかく飯テロすぎて。町に1軒しか韓国料理屋がないメキシコの片田舎に住むものとっては韓国料理への欲望が高まりすぎて辛すぎた。。
まあそれは置いといて。(笑)
実は何を隠そう、メキシコもストリートフードのオンパレードなのですよ!
市場に行けば、というか市場に行かなくとも、道端で何か売っているのは日常風景なのでございます。
メキシコの食べ物はまだ私自身試したことが無いものが多く、馴染みがないので勉強になればいいなと思いメキシコのストリートフードを食べ歩いている動画を見てたんですね。
Street Food in Oaxaca - CHEESE CORN CHAMPION and Mexican Meat Alley Tour in Mexico!
メキシコのストリートフード動画は、たぶんこの人しか見ていないです(笑)。が、この人がすごく好きなのです。
なにしろ好感が持てる。
警戒心を解く朗らかな笑顔に、はきはきとした口調。
何よりもいいなと思うのが、どんな食べ物にトライしても、まったくネガティブなコメントをしない。
淡々と、何が入っていて、どんな味がするかを非常に丁寧に説明してくれる。そして美味しいときは実においしそう~な顔をして食べる。
だいたいは海外に行って馴染みのない食べ物や調理方法に出会うと、拒否感を表すと思います。わたしだって、自分で書いたメキシコのエキゾチックフードは、かなり嫌そうな顔をして食べていました。。
でも翻って自分の国の食べ物を、しかもその食べ物が自分の好きなものだったらなおさら、海外の人が不味そうに、なんなら吐き出したりして食べているのを見るのってすっごく嫌じゃないですか?
もちろん、相手の目には摩訶不思議に映って、味も慣れていないから受け付けないのは分かる。自分もそういう経験はしたことがあるから。
ただ、いくら自分の経験してきた文化と違うからといって、「これは理解できない」と嫌悪感と、卑下して見る態度とともに切り捨てるのは違う気がするのです。
あんたには馴染み無くても、わたしはこれで生きてるんだよ!って思う。
先ほどのYoutuber Mark氏は、どんなにエキゾチックな食べ物でも、笑って、時には単に興味深そうに、そういう文化なんだと理解しようとしてくれている。
好感持てるー!
他国の文化なんて、背景が違うんだから理解できる・できないはもちろんあるし、理解できない部分があってもしょうがない。
でもそれを自分の小さな価値観で「これは無い」「意味わからない」と決めつけるのではなく、その文化としてそっとしておいてほしいな。
そう、放っておいてほしい。
異なること、って放っておいてくれればお互いぶつかり合うことなくうまくいくのに。宗教に関しても、そう思うのですけれど。。どうしても何か言いたくなる人っているよね。
異なる文化に衝突したときは、「自分にはよくわからんけど、なんかそういうものっぽい」っていうゆるっとした態度で触れないでおく、放っておくのがすなわち「受け入れる」ってことなのかなって思いました。
すみません。自分の今までの嫌悪感丸出しの食べ方とかマジで反省します。。自分が一番できてない。
6か月目のメキシコは
お久しぶり過ぎて恥ずかしい・・。メキシコ6か月目に入ったコムネです。
6か月、長いようで、、普通に長かったです。(笑)
やはり留学とかも最初の3か月が一番辛いというけれど、本当に私もその通りで最初の3~4か月は何もかも辛かったです。何なら今も、ですけれど。
何が一番辛いかというと、、本当に言葉が聞き取れないのです。何を言われているのか分からず、何を言っていいのかもわからず、何か言ったところでそれに対する返事も聞き取れず。。負のループでございます。そんなもんで、話しかける自信さえ奪われてしまうのは想像に難くないでしょう。。?
今は本当にちょっとずつちょっとずつ耳が慣れてきて、言っていることが自然と理解できる・・!という状況になることも増えてきました。増えてきただけで、いつも、ではないのが悲しいところ。
本当に人によってはアクセントや速さが全然違って、全く歯が立たないこともあるし、あとはやっぱり語彙力不足ですね。本当に語彙力はあって困らない。無いと全くお話にならない。一つ言葉が分からなかったときに、言い換えるという魔法が使えないですから。(涙)
それから、外国語ができるようになるって、つまるところ相槌やお決まりのフレーズがさらっと出てくることかなって最近思います。第一段階として、ね。ネイティブの人がどのように相槌をうつのか、どう返せば自然に話がつながるのか、これが分かると話を聞いているときもそれを言っておけばいいのでかなりリラックスして話が聞けます。といってもこれもちゃんと相手の話を聞き取れている場合に限るのですが・・!
ということで次の小さな目標は、
①耳を慣らして言っていることが聞き取れるようになる
&
②適当な相槌をマスターする
です!それができるようになったらだいぶストレス減る!
ちゃんとボキャブラリー増やすために勉強もしなければ~
海外就職の代償
海外就職って、もちろん就職の難しさとか給与の面だとか、
散々今まで色々と悩んできた部分はたくさんあるんですが
最近になって海外就職をするうえでやはり払う代償の大きさを実感しておりまして、
というのも自分の大事な大事な友人の結婚式に招待されるんですが、それに出席できないのであります。
わたしは今25歳でして、そういう年齢のせいもあるのかもしれないですが、
自分の周りで徐々に結婚する友人が増えてきて、それに合わせて結婚式の招待も段々と受けるようになってきました。
わたしは人生で大切なことはほとんど周りの友人から学んだのではないかというほど、友人に支えてもらい、優しさを与えてもらってきた人間でして、
数は多くないですが大切な幾人かの親友もおります。
その友人の晴れの日に同席できない哀しみ。
一生に一度の日を共に祝えない哀しみ。
海外就職という自分の夢を追って、まさに自分の好きなように生きている代償なのでしょうか。
なんだかむしろ彼らに対して恥ずかしくなってくる思いもあるのであります。
自分の人生ではありますが、いつも自分のことばかりではいけないのでしょうね。
まだまだ自分のことをやり切れていない段階に自分はおりますが、
次のステージとして、周りの人のために人生の舵を切ることも追々学んでいく必要があるのかなと感じております。
それがひいては家族を持つということなのかなと思います。
それはさておきましても、
今は、海外就職の代償が、辛いのであります。
思い残すことなく海外へ行くはずだったのに。大切な人を残して旅立つ意味とは?
ずっと海外で働きたいという夢を持っていたわけでありますが、その夢を抱いていた間、自分に彼氏という存在はずっとおらず、まったく海外へ飛び立つにあたって自分を引き留めるものはありませんでした。
しかし最近、なんの因果か幸運なことにお付き合いをさせていただくことになった人ができ、これが今回のメキシコへの旅立ちに際して大きな頭痛の種になっているのであります。
と言いますのも、単刀直入に申しまして遠距離恋愛になってしまうからであります。
そして、これによって離れ離れになってしまうことに非常に寂しさを感じているのであります。ただの恋する乙女状態で手が付けられないのでございます。
まったく、今まで自分が海外へ行く際にこのような気持ちにさせるものが出来るとは考えたこともありませんでした。よくホームシックで家が恋しいという話も聞きますが、幸か不幸かわたしにはそれは当てはまりませんでしたので、逆に新しい気持ちで生活をスタートできるという点で海外へ出ることは非常に楽しみなウキウキさせてくれるような経験でした。
ところが今回このような状況となって、非常に困惑し、自分の下す決断に迷いすら生じてしまうのであります。自分も苦しみ、自身の大切な人にも寂しい思いをさせるこの渡航の決断は、今後にどう影響するのだろうか、どのような結果を生むのだろうか、と。
彼は、わたしの海外で働きたいという夢を応援してくれており、今回の内定も非常に喜んでくれております。
私自身も、長年の夢だった海外での就職が今回ついに実ることになり、ようやく自分の人生がここから始まるという思いでおります。なので、日本に留まるという選択は何があっても「無い」わけではあるのですが、非常に心が苦しいのであります。
現在、アルケミストという小説を読んでおります。
まだ途中ではありますが、サンチャゴという羊飼いの少年が、宝物を探しにいく旅をする中で様々な人と出会い人生の知恵を学んでいくというお話であります。そしてその中に非常に今のわたしに響く箇所がありましたので、備忘録的にここに引用させていただきたいと思います。
そして少年にも目的があった。彼の人生の目的は旅をすることだった。
彼は自分が、今までに経験したことのないような気持ちになっているのに気がついた。それは、一ヵ所にずっと住みつきたいという希望だった。黒髪の少女と一緒にいれば、自分の毎日は決して同じではないだろうと、彼は思った。
そして、船乗りや、行商人たちと同じように、羊飼いもまた、自由な旅の喜びを忘れさせる誰かがいる町を、いつか必ず見つけることを、知っていた。
主人公の少年にとって、旅することが人生の目的なのでありますが、彼はある町で黒髪の少女に出会い、恋に落ちてしまいます。そして、旅に生きる彼ですらも「一ヵ所にずっと住みつきたいという希望」を抱くようになったのであります。
「自由な旅の喜びを忘れさせる誰か」という部分が、今まで自由に生きてきたわたしには非常にピンポイントに刺さったのでありました。
そして、こちらの部分も同じく同小説から引用したいと思います。
少年は(中略)夢が実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろいのだ、と思った。
夢を追う人にとって、このアルケミストという小説は非常に勇気をもらえる本で、おススメかと思います。
ぜひ機会があれば読んでみるのもよいかと思います。
年を重ねるということは、1つずつ夢を捨て、現実を見るということなのかもしれない
先日高校時代の友人と1日会って話してまいりました。
彼は、高校の頃からユニークな考えを持っていた人で、普通の人ならまず「ありえないよね」というようなことも真面目に向き合い考え、現実に行動しちゃうような人でした。
何か知りたいと思えば実際にそれを自らやってみて体験しちゃう、というような行動力をパワフルに持ち合わせたひとで、毎度話を聞く度、「え、それほんとにやったの?!」と周りを驚かせてばかりでした。
そんな彼、昔から普通に大学行って普通に就職して、というような一般的な人生を送ることに疑問を抱いており、20代半ばになった今でも自分のやりたいことを模索し、今年大学院に行くという選択をいたしました。
私自身、大学卒業後はアルバイトで半年ほど過ごし、その後入社した会社も1年半ほどで退職、その後留学というまっとうではない人生を歩んでおり、高校時代から彼とは紆余曲折人生の友という点で共鳴しあう部分が多くありました。
私もたぶんに夢を見がちなタイプの人間です。非常に現実的な親に言わせると、いつまでふらふらしているんだとイライラすることでしょう。
親には、メキシコで働くことについて非常に厳しい意見をもらいました。日本で働くよりも低い給料に今回なってしまう訳なのですが、それに関して、日本に帰ってくるつもりは無いのか、日本に帰って来てもどうするつもりなのかとお金に関して厳しく問われました。正論すぎて、ぐうの音も出ません。
わたしももう20代も半ばです。同い年の友人は結婚をしたり子供を産んだり、キャリアを重ねステップアップしている人もおります。
人によっては20代をまだまだこれから、という人もいますし、親のように甘くないと厳しいタイプの人も居ます。ただ、なんだかんだいって一番近しい親という存在の人に、現実を見ろと言われてしまうと、どうしてもその思考になびいてしまうものであります。
高校来の友人と話していると、彼はまだ自分の夢を追って学業に向かっていくわけでありますが、もう昔と同じように同じ熱量で「わたしも自分のやりたいことをやる!」と息巻いて熱く語ることが出来ないのです。
そろそろ、もうそろそろ私たちも落ち着いて現実と向き合っていかなくてはいけないのでは、と口にこそは出さないですが、冷ややかに、心の奥で思ってしまうのです。
世間体や常識、あたりまえと戦うのは難しいです。
かつてのような自分の夢にまっすぐな思いや行動力、熱意はこうやって一つずつ、力を失って消えてしまうのかと思いました。
ありがたいことに内定をいただいた話
はや就活をはじめて3ヶ月ほど経ち、先日ようやく内定をいただくことができました。
ふあー長かった...
ブログタイトルの通り、メキシコで働かせていただけることになりました。
求人数は多いものの、製造業の案件が多く、どうしても自分の中で製造以外の分野を希望していたため非常に職探しに難航しました(涙)
ほっと一安心とともに、本当に現実になるんだという実感に心が震えて衝撃を受けております。
ようやく海外で働くという長年の自分の夢が叶う喜びとともに、将来のこと、キャリアのことについての猛烈な不安に襲われています。
早く日本を去って働き始めたい思いとともに、大切な人や友人がいる日本にもっと長くとどまっていたい思い。
また仕事を離れて約1年ものブランクがあるので、久しぶりに働くことへの不安もかなりあります。
不安がつきない。
内定をいただいて嬉しいはずなのに、色々と直面しなければいけない現実が浮き彫りになってきて、なぜだか辛いのです。