年を重ねるということは、1つずつ夢を捨て、現実を見るということなのかもしれない
先日高校時代の友人と1日会って話してまいりました。
彼は、高校の頃からユニークな考えを持っていた人で、普通の人ならまず「ありえないよね」というようなことも真面目に向き合い考え、現実に行動しちゃうような人でした。
何か知りたいと思えば実際にそれを自らやってみて体験しちゃう、というような行動力をパワフルに持ち合わせたひとで、毎度話を聞く度、「え、それほんとにやったの?!」と周りを驚かせてばかりでした。
そんな彼、昔から普通に大学行って普通に就職して、というような一般的な人生を送ることに疑問を抱いており、20代半ばになった今でも自分のやりたいことを模索し、今年大学院に行くという選択をいたしました。
私自身、大学卒業後はアルバイトで半年ほど過ごし、その後入社した会社も1年半ほどで退職、その後留学というまっとうではない人生を歩んでおり、高校時代から彼とは紆余曲折人生の友という点で共鳴しあう部分が多くありました。
私もたぶんに夢を見がちなタイプの人間です。非常に現実的な親に言わせると、いつまでふらふらしているんだとイライラすることでしょう。
親には、メキシコで働くことについて非常に厳しい意見をもらいました。日本で働くよりも低い給料に今回なってしまう訳なのですが、それに関して、日本に帰ってくるつもりは無いのか、日本に帰って来てもどうするつもりなのかとお金に関して厳しく問われました。正論すぎて、ぐうの音も出ません。
わたしももう20代も半ばです。同い年の友人は結婚をしたり子供を産んだり、キャリアを重ねステップアップしている人もおります。
人によっては20代をまだまだこれから、という人もいますし、親のように甘くないと厳しいタイプの人も居ます。ただ、なんだかんだいって一番近しい親という存在の人に、現実を見ろと言われてしまうと、どうしてもその思考になびいてしまうものであります。
高校来の友人と話していると、彼はまだ自分の夢を追って学業に向かっていくわけでありますが、もう昔と同じように同じ熱量で「わたしも自分のやりたいことをやる!」と息巻いて熱く語ることが出来ないのです。
そろそろ、もうそろそろ私たちも落ち着いて現実と向き合っていかなくてはいけないのでは、と口にこそは出さないですが、冷ややかに、心の奥で思ってしまうのです。
世間体や常識、あたりまえと戦うのは難しいです。
かつてのような自分の夢にまっすぐな思いや行動力、熱意はこうやって一つずつ、力を失って消えてしまうのかと思いました。